業務用 コーヒー 田代珈琲
田代珈琲80年の歴史
昭和8年2月、「田代兄弟商会」
  として起業。


当時、銭湯や駄菓子屋や売られていたミカン水などの清涼飲料水を製造する「鉱泉所」というところが地域ごとに存在していた。ここにシロップを卸していたのである。その後は株式会社房屋商店として改組し、コーヒーの製造も手掛けることになる。何故コーヒーかというと、そのシロップの味付けとしてコーヒーを加えてコーヒー牛乳の素を作ることになったからである。
田代辰と娘の百合子

田代辰と娘の百合子

辰、息子 好埈(よしたか)、妻 為(ため)、孫・典子、娘 みよ子、母 ふで、娘 百合子
左から順に、辰、息子 好埈(よしたか)、妻 為(ため)、孫・典子、娘 みよ子、母 ふで、娘 百合子
戦争、挫折、復活…。不屈の先代・田代辰。
先代は戦前に大きく儲けて、地域の自治会や軍にも沢山の寄付を行い、数々の表彰を受けていた。戦争も本格化した時には会社を閉鎖し、財産を抱えて香川県・観音寺に疎開することになった。しかし、敗戦でその財産も紙切れとなってしまった。
しかし、転んでもタダでは起きない先代田代辰。戦後再び大阪の地でコーヒー会社を興すことになった。時は昭和23年のことである。戦後の会社経営は前途多難が予想されたが、戦前の人脈から紅茶の輸入販売権を獲得し商売を大きく発展させた。
喫茶店ブームとオイルショック
昭和41年に初代田代辰は死去し、2代目田代好埈(よしたか) が25歳で継ぐことになった。 ここからいわゆる「喫茶店ブーム」が沸き起こるのである。そのようなブームのおかげで1978年頃までお得意先が増え続けた。
しかし、1973年のオイルショック、1975年のブラジル大霜害で価格が暴騰したりと経営環境が平穏であったとはいえず、2代目も経営のかじ取りには苦労したようである。
1978年頃からはお得先は減り続け、卸業から小売業へ、本社移転を機に業態転換をはかっ たのは1985年のことであった。
バブルの光と影
1985年を契機に家庭用の小売販売にも力を注ぎ、本社を現在の東大阪市に移転した。
そして世はバブルに突入し、景気の良さから業績もアップ!
小売業も他社よりも比較的、早くに力を入れてDMを中心に地方発送も積極的に行った。
しかし、好事魔多し。90年代にバブルは崩壊し、業績は悪化。2代目田代好埈は体調を崩す。
迎えた1994年、2代目好埈が死去。3代目社長には長男和弘が就任する。
その後、多店舗展開を目指し1998年には4号店を開店させ、再び業績を伸ばすこととなった。
しかし、売り上げの伸びは止まり、多店舗での焙煎から豆の鮮度を保ったまま販売することに限界があり、方向性を模索する毎日が続いたのである。
新時代の到来、ネット事業とスペシャルティコーヒー。
1999年には社長の発案から、パソコンをまっ たく触ったことのない弟の好宏が、ネット事業を目指すことになる。ホームページはなんとか2000年に完成したが売り上げは作れず、試行錯誤の末、モール出店などを契機に、少しずつ売り上げを作る。
と、同時にスペシャルティコーヒーという高品質のコーヒーとの出会いが、田代珈琲を大きく変えていくこととなる。
2003 年から海外の農園へ直接出向き、農園と良いコーヒー、スペシャルティコーヒーを共に作る関係を築き、世界最高のコーヒー品評会であるカップオブエクセレンス2004 にはエルサルバドルのコーヒーを単独落札に成功!
新時代の到来、ネット事業とスペシャルティコーヒー。

カップオブエクセレンス
そして現在…

そして、スタッフのコーヒースキルにはできるだけの力を注ぎ、コーヒーインストラクターは延べ12名、コーヒーマイスター5名、さらには2008年にはカップオブエクセレンスのカッパーとして社長が参加し、田代好宏はSCAA(アメリカスペシャルティコーヒー協会) の認定カッパー を取得する。今ではテレビでも紹介されるようになり、数々の雑誌でも取り上げられる。スペシャルティコーヒーの啓蒙により、日本のコーヒー文化の発展に全力を注ぐコーヒー屋としてスタッフ一同団結で頑張り続けているのである。
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